先日、我が家が夕食をとっていると、外に救急車のサイレンがし、自宅前で停まった。
何事かと思い外を見ると、パトカーも停まっていて何やら騒がしい。
あまり見ているのもどうかと思い、食事を続けていました。
そしたらサイレンも鳴らさず知らぬ間に救急車はいなくなっていました。
と言うことは「亡くなっていた」と言う事です。
その方は一人暮らしで、でも老人と言うわけではないのです。
詳しくは判りませんが、たまに洗濯をするその方をお見かけしていた程度ですが・・・。
お知り合いの方やらと警察が話をしておりました。
そして静かになったな、と思った頃出かけるために外に出るとご遺体を警察の方が運んでいました。
そしてそこには生前の男性が残されていました。
ただ呆然と。
まだご自身の死を理解していない様子でした。
テレビや新聞ではこういったニュースを目にしますが、実際に本当に隣で起こると寂しさを感じます。
生きると言うことは簡単なようで難しいことなのでしょうね。
そして共に生きてくれる誰かがいないと言うことの寂しさも感じずにはいられませんでした。
撮影部長(彼)の周りにも一人の方がけっこういます。
皆いい年になってきていますから、心配にもなります。
スピリチュアルの世界では「神様」という言葉がよく出ます。
日本の考え方として全てのものに神が宿るというものが根強く存在し、それはとても良い考え方
だと思います。
神様からのご信託を受け、人生が変わるという話はよく聞きます。
そして何か自分が特別な存在なのだと思う人も沢山います。
それは「今」だからこういうことになるのではないかと思っています。
もっともっと昔の人々は神々と寄り添うように生きていました。
神々を信じ、いつも感じていました。
そういった時代にはなかったことだと思います。
どれだけ神様がいても、その声を聞けたとしても、その声に従って色々なことをしたとしても、
自分自身の健康は自分自身で何とかするしかないのです。
人は生まれたときからいつか来る「死」に向かって生きているのです。
その時まで健康にいることは自分自身への気遣いと注意でしかないのです。
神様とはけして優しい存在ではないのです。
健康であってこその全てなのです。
C☆さんからのご依頼で霊的ブレスレットを作り、ノーガードで霊視をしたときの妖怪2人組。
この人たちはまったく健康ではない。
どれだけ目に見えない者の声が聞こえたとしても、それを伝えられたとしても、自分自身が健康であり、
正常な考え方が出来なければただの戯言になります。
この妖怪2人組は己の事しか考えず、強欲で、人を逆恨みする。
人としてあるまじき行為とも云えます。
こんな人たちに苦しまされてきたC☆さん、本当に不憫でなりません。
良かれと思ってやったことも間逆にする2人組。
本当にまっとうに生きなさいと思いますし、制裁モノです。
生きると言うことを少々考える日でした。
先日メンテナンスでブレスレットがお里帰りしてきました。
その方がお茶を同封してくださいました。
ありがとうございました。
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