桔梗塚

以前ふらりとぶちょーと出かけた時に、これまたふらーっと
立ち寄った所です。
明智光秀のー・・・っというネット情報を見ただけで行ってしまい
ました。

まぁ調べもしずに行ったのもあったけど、「行かなきゃよかったわ」
と思う場所でした(;^_^A

明智光秀と言えば、本能寺の変で織田信長を滅ぼし、その後
殺された。
というのがよく知っているお話かと思います。
歴史というのは色々な話が乱立しているもので、
この明智光秀もそうでした。
本能寺の変の際に、小栗栖城近くの明智藪にて土民に
襲われたのは、明智光秀の影武者・荒木行信(荒木山城守行信)
と言う事になっています。
実際の明智光秀は、故郷である中洞に落ち延び、西洞寺の
林間にて秘かに暮らしたというのが、地元に伝わる伝承で
明智光秀は荒深小五郎と名を変えて、雲水(僧侶)の姿にて
諸国遍歴の旅に出たともありますが、関ヶ原の戦いの際に
武功を挙げようと、徳川家康の東軍に加わろうとしました。
しかし、関ヶ原に向かう途中、根尾村の藪川にて、増水していた
ところ、馬と共に流されて水死したと言う事になっています。
亡骸は荒木山城守行信の子である荒木吉兵衛が村へ持ち帰り、
その明智光秀の墓が、桔梗塚と言う事になります。

まぁ、こんな云われも知らず、行ってしまったのですよ。

ざっと写真を載せたのですが、写真がぼけちゃうんですよね・・・
ここは来たら行かんかったです・・・はい。
15時過ぎに到着したのであっという間に夕方に。
そしたら、山の雰囲気がとてつもなく悪くなり・・・

「帰れ・・・」

「立ち去れ・・・」

と声がするのですよ。

完全にアウェイです。
何かをするつもりはないんですけどね、やはり邪魔者
と認定されたらしく、喧嘩を売るつもりもありませんでしたから
早々に立ち去る事にしました。

この場所は本当によそ者を近づけたくない、そんな空気しか
ありませんでした。
その声もごつい男の人の声でした。
ぶちょーも鳥肌ばんばんになっていました。

中洞地区の伝承では、本能寺の変のあと、山崎の合戦で討ち死に
したのは影武者であり、中洞に落ち延びて住んでいたと伝えられています。
光秀は郷里の中洞に落ち延びた後、山崎の合戦で討ち死にした
影武者・荒木行信の忠誠に深く感銘して「荒」と「深」をとって、
自ら荒深小五郎と名乗り、この地で暮らしていました。
その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、
増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされています。
現在まで地元の荒深氏一族によって桔梗塚は大切に守り続けられている
そうです。

というような伝承もある通り、落ち延びた者にとって「よそ者は敵」
といった感情があるのです。
お昼間に行かれるのは良いですが、日暮れ以降はお勧めできない場所でした。

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