二俣城
二俣城(ふたまた-じょう)は、静岡県浜松市天竜区二俣町二俣にある
連郭式山城で標高は90m、比高は40mの天然の要塞で、国の史跡
にもなっています。
別名は蜷原城とも言いますが、天竜川と二俣川との合流点である
二俣にあり、信濃から遠州平野に入る入口で、戦略上も重要な
拠点と言えます。
とありますが、このお城は徳川家康の長男信康の最後の地として
有名ですね。
私も信康の意識を感じられたらと思いここに行くことに決めたのです。
信康はいのししさんのような人だったと言われています。
まっすぐすぎる人なのでしょうね。
そして父親である家康に認められたくてしょうがなかった人。
時代が時代ですから、我が子であっても命を絶たねばならない
というのは何とも言えないむなしさすら感じますね。
写真をUPするのですが、写っている写真がありますので、苦手な方は
ここでクローズ願いますね(;^_^A
城内に神社がありました北曲輪の場所に「旭丘神社」という神社がありました。
日清、日露の戦役以来の英霊を奉斎せり。
その後満州事変、大東亜戦争と国事にたおれた二俣町出身ならびに縁故ある
戦役軍人、軍属など殉国の霊を逐次合祀奉斎せり。
とあるように靖国神社の御分霊を迎えている神社です。
何故ここにあるのか・・・・謎ですね。
この神社では靖国神社でのどこか腹立たしいという感じは受けませんでした・・・
というか、形だけっていう感じが強かったですね。
次に本丸の写真です。
なんかね・・白いんですよね。
写っちゃいました(-_-;)わかりますかね?
この日はとても天気も良く、少し暑さすら感じてました。
なのに城跡では写真が白い・・・はて・・・?
ここでは信康の悲し気な思いを感じることが出来ました。
思ったことをすぐに行動に起こしてしまうがために言葉を選ぶ
事も、我慢することも出来なかったであろう信康の
「信じて欲しかった思い」
「死を持って潔白を証明する思い」
「あきらめの境地」
そんな思いがたくさん折り重なった感じでした。
介錯をしたと言われている服部半蔵の思いはいかばかりだったのか・・・
教育係であった平岩親吉の思いは・・・
とは言え、真実はご本人たちのみぞ知るです。
戦国の世の人々の意識を読むのは難しいものもあります。
信康は子供がそのまま大人になってしまった人という感じも
受けました。
思慮深さが信康にあったならばこんなことはなかったのかもしれませんね。
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