最後の審判

お仕事柄たくさんの方々に出会います。
その中で、出会う事に大きな意味を持つという
事があります。
それはこちら側に大きな意味がなくても
相手には大きな意味があるという場合もあります。
そして、相手にとって人生の大きな分岐に差し掛かっている
人に連続して合う事になったことがあります。
過去世を視ると、過去からの宿題を自分自身で認めて
前に進むために努力を強いられている状態。
この状態は本当に苦しいものです。
それでも、もがいて前に進むしかないのです。

そういった立場の人に親身になって話をし、助けてきました。
何故でしょうか、こういう人に限ってなのか、距離感を縮めて
くるのです。
最初はクライアントさんという距離感だったはずなのに、
あれれ?っという間に友人の間柄のような距離感。
こちらとしてはちょっと困ったなぁ・・・
という気持ち。
でもまぁ、乗り掛かった舟だし、と話を聞くし、アドバイスもする。

が、なぜか危険な方向に進んでいこうとする。
そして、何とかしようと接触する。

この繰り返しの中でこちらは疲弊してくる。
そして悩む。

これだけ手を貸してきたのに最後はあっさりと相手は
失礼なことを言い残して去っていく。

この長い時間を返してくれ・・・・と思うような一瞬。

こういうのって、偶然ではなくてやはり必然なんだと思う。
同じ過ちを繰り返し続けてきて、今世も最後のチャンス・・・
それを知っても変えることが出来ない過去からの宿題。
せっかく良い方向に向けられるチャンスだったのに・・・
そのチャンスを試されて、また不合格を出される事が
必然なのだろうと思うのです。

過去からの宿題を改めて知り、そして挫折するという流れ
が今世であった・・・という事なのだろうと思う。
こちら側とすると、「救えないもの」に出会う事
が一つの試練であり、またそれも必然だったのだろうと
思う。
どんな言葉を投げかけてもきっと相手の心に届くことは
無く、空振りに終わる・・・
最初からこれを見極めてドライに徹することが出来るのであれば
とても楽なのだろうとふと思うのです。

それでも何とかしてあげたい、何とかなって欲しいと思う気持ちを
捨ててしまったらそれはそれで何か欠けたものになってしまうのだろうと
思う。

ジレンマ・・・・

何はともあれ、次があるとするならば同じ流れにはしたくないと思う。
と同時に信用し、選択し、行動するのは当人以外いないという
のも現実です。

最後の選択を間違った方にすればもちろん転落し落ちていく
しかありません。
そこには這い上がるすべはきっとないのだと思います。

運命とはある意味苛酷なものなのだとも思います。
私としては今後も最善を尽くすのみです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました