高天神城跡

「高天神を制するものは遠江を制す」
と言われた「高天神城跡」に行ってきました。
前々から行きたかったと言う訳ではなくて、ふと思い立った
と言う感じでした。

この城は本当に支配者がよく替わっています。
今川→徳川→武田→徳川→武田→徳川
こんな感じです。
城郭から周囲を広く見渡せたほか、駿河から小山城(吉田町)や
滝境城(牧之原市)、塩買坂(菊川市)を経て高天神城付近を通過
すると、浜松方面に抜けることができ、東海道以外の東西ルートに
位置した戦略的な拠点だったのです。

              山城ですから、まぁこうなりますよね。

                       三日月井戸
城内に存在する二つの井戸のうちの一つ、礫層を浸み通って出た雨水がポタポタと滴り落ちて三日月形に溜まったことから付いた名称で、井戸として使ったそうです。
何故か金魚さんがいらっしゃいました。

                         石牢
山腹に洞窟状に掘った横穴で、ここを牢屋として使用していました。
徳川家家臣大河内正局が落城後も勝頼に屈しなかったため、ここに幽閉されておりました。
7年間もの幽閉生活を送っていた大河内政局は視力を失い、歩行が困難になっていました。

                        かな井戸
井戸曲輪にあり高天神城内にある二つの井戸のうちの一つ。
名の由来の一つとして湧き出る水が鉄分を多く含んでいるためとも言われる。
篭城方のお姫様が落城時に身を投げて自害したとも言われている。

                      現在の高天神社


                  天神信仰だから牛さんなのかな。

                       高天神社拝殿
高天神城の守護を担う神社として創建されたものだそうです。

                         元天神社
元々ここに高天神社が鎮座していたが、八代将軍徳川吉宗の時に
現在の地に遷宮されたため、ここを元宮と呼ばれています。

                         本丸跡
時期がいけなかったのでしょうか・・・
とにかく草野原でした。
なんだか残念な気がして、ぼーっとしてしまったのでした。

こういった城跡は基本血生臭いですが、ここはそれでも静かでした。
もちろんお昼間だからと言うのもあるのでしょうけれど。
色んな思いはあったのですが、途中で出会ったおじさんが少しお身体が
不自由で、山道でしたので心配で、声をかけたのですが、それが
いけなかったのか・・・その後の道のりで何度も出会うのです。
そして最後は話しかけられて、とにかく喋る、喋る・・・
30分以上語りを聞かされていたら、思いなんてどっかに行ってしまいました。

cantaさんからとある写真を撮ってきてと言われ、それを撮り送ったら、
案の定大爆笑されましたとさ・・・
その写真は載せられないわ。

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