先日相方と岐阜城に行きました。
曇り空で、時よりぱらぱらと小雨もありで、湿度が高かったのですが、
時より吹く風がとても心地よかったです。
本当ならば登山すべきなのでしょうが、そこまでの体力はなく、
無難にロープウェイを使用しました。
岐阜城と云えば、金華山(稲葉山)にある山城跡。
織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、
新たに造営したものが岐阜城である。
織田信長の「楽市楽座」も有名です。
古代中国で周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで
城と町の名を「岐阜」と改め、この頃から信長は、「天下布武」のもと
本格的に天下統一を目指すようになった。
信長の居館は、現在冠木門と虎口の土塁が復元されている。
山麓の一段高くなった千畳敷には、かつてポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが
紹介した楼閣(信長の住居)が建てられていました。
ロープウェイから降りて天守に向かって歩いていると、何処からか
笛の音が・・・・。
途中の休憩場所で練習なのか、聴かせるためなのか、とても哀しげな
曲をひたすらに吹いている方がいらっしゃいました。
そんな曲を聴きながら天守へ向かいました。
これだけ登ると、展望台からの眺めはよいものでした。
ただ、天気が今ひとつでしたのでちょっと残念でしたけれど。
この岐阜城、信長が天下統一を目指すことになったお城で、
ある意味覚悟を決めた場所でもある。
そんな城を後に家康は廃城とした。
理由としては「険峻な岐阜城の再利用を恐れて」
とあるが、本当にそれだけだったのだろうか。
この山はある意味不自然なチカラを感じてならなかった。
もしかして嫌われている?
なんて思うほど。
展望台に上がって、本当ならば景色も良く、吹く風に心地よさを
感じるのであろうが、それもない・・・・
人の策略が渦巻く山城ですからこうもなってしまうものなのかもしれませんね。
相方にふと学生時代に一緒につるんでいたT君の年齢を聞いてみた。
実はそのT君は年上だとずっと思っていたから・・・
聞いてみたらその友人と同い年だとか・・・・って・・・・
「え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
何十年ぶりかに発覚した出来事。
ショック・・・・
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