11年前の今日、中華航空機が墜落した。
私も学生の頃からよ観に行った飛行場で。
今思い出すと、この事故の数日前に晴れ渡った空を眺めながら胸騒ぎを覚えていました。
大気が揺れていた。
無意識に口にしたのは「飛行機が落ちるかも」
当たり前ですが、こんなこと起こってほしいと思った訳ではありません。
ただ、近くで起こると思ったのです。
もちろん誰かに話す事は出来ませんでした。
これを予知と言うのならばそうなのかもしれません。
ただ、今の私もそうですが、教えてくれていると思っている。
どういうものなのかというとうまくは云えませんが。
そして、飛行機事故は本当に起こってしまった。
それも地元の空港で。
沢山の命が散っていった。
今でもたまに近くを通ることがあり、その都度思い出す事故です。
こういったことは9.11でも東日本大震災でも御嶽山の時もありました。
どうすることも出来ないのですが、起こってしまうことを感じてしまうのです。
というのか、教えられてしまうのです。
御嶽山は予定が違っていたら現地にいたというニアミスもありました。
こういうことがわかってしまうことに嬉しさなんてものはまったくありません。
もちろん、危険回避という面ではいいのかもしれません。
しかし、いつも何も出来ない自分に葛藤を覚えてならないのです。
ただ判っても何の役にも立たない事の方が多いのです。
もちろん、友人や知人が遭遇するかもしれないとなれば云いますが、今のところそういった事も無く過ぎています。
毎年大きな事故があった時期になるとふと考えさせられます。
考え、想い、何かしらの答えを出していかなくてはと思うのです。
自分の中で昇華していくためなのかも知れませんが。
不思議なことはよく起こります。
それでもただ普通に生きていたいと思ってしまいます。
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